こんにちは!!
パープルムーンの円香です。
実は7月にコラムを書きそこなったので、八月は二本書きたい、と、宣言してしまったのでした。
で、お盆期間ほかの女王様よりも長くお休みをいただいて、お経をあげて過ごしていました。
なかなか今年のお盆は涼しかったのと、兄や後輩も居たので、例年に比べると楽しく過ごしました。
せっかく皆さんもお休みで遊びたい時にお休みを頂いたので、とても残念ではあるのですが。
また、ブログや前回のコラムで、お休みのお知らせをしていたので、 後半めがけて来てくださった皆様ありがとう。
M男さんの鏡ですよ〜
お盆お疲れ様でしたって言葉が染み渡る〜
仏教に向いている自分から、休み明け一発目のプレイはテンションが上がり過ぎました。
何しよう!!!!とそわそわそわそわ。
気持ち悪かったかもしれません。
そんな感じで、八月はどっちつかずに久しぶりに仏教の本を読んだりしていました。
アメリカ人から見た禅から、日本人が禅を知る。というテーマの雑誌を読んでいたのです。
その中で印象的だった事を紹介しようと思います、 お盆だったからね、たまには仏教的な話をしたって良いのではと思います。
ただし、SMのコラムであることは曲げません(笑)
禅には、大別して公案禅と、只管打坐という物があります。
その中の公案禅についてから。
公案禅とは、禅問答と呼ばれている物をイメージしていただければと思います、 この公案、凄まじくて、まったく意味が分からないのです。
本当に、突き詰めて考えたら論理性があるのかもしれませんが、私には残念ながら意味が分かりません。
そして、昔のお坊さんエピソードを纏めた本の中に、この問答をかけられて、
答えたらぶん殴られて庭に転がって行って泥の中で悟りを得たとか、
師匠に質問をしたら背中をペロッと撫でられて悟りを得たとか、
猫を切って可哀相だったとか、エピソードもかなり吹っ飛んでいます。
そして、その意味の分からなさから、アメリカ人は爆発的な、
苦痛レベルの集中と解放という事を思いつくわけです。
この辺りで変態さんならお気づきになるかと思うのですが。
答えや意味など有るのか無いのか、さっぱりわからない、難解過ぎる問題を師匠が提示して、
それを素直に考える、答えても答えなくも間違いかもしれないし、
下手をすると猫一匹切られてしまったりする、
何をされるかわからない、怖いです。
何のためにこんな事をしているのか、とかまで考え出して、そのうちその事すらやめて、
恐怖や絶望に近い位考えて、そして、その極限的な思考から、解放された時、 しかも、解放は師匠が握っている。
それを禅エクササイズとして紹介していました。
アメリカ人は苦痛からの解放を悟り的な現象、法悦と考えたわけです。
私としては酷く、コミュニケーション的なSMだと、思ってしまうわけです。
女王様の気ままなプレイを一心に受けて、最低限のセーフティーがあったとしても、
身動きの取れない状態で責め立てられ、いつか終わるはずだけれど、いつ終わるのかわからない。
禅エクササイズなのではないか!?と考えたアメリカ人は、多分マゾだと思います。
また、その考え方で行くと、只管打坐はSMオナニーという事になりますし、
公案については私が受ける印象はこのSM的発想とも少し違う様な気がいたします。
この辺はまたいずれ、機会があれば!!
もう、文字数が多すぎるので、一旦切り上げたいと思います!!!
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